比較文学する研究会
比較文学する研究会:研究者支援プログラム

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Last Updated 1999/11/15

学会リポート003

平成11年度 中古文学会秋季大会


日  時 ■ 1999年10月16日(土)・17日(日)

会  場 ■ 奈良女子大学講堂

特派員 ■ 毛利美穂(「比較文学する研究会」代表)


参加したのは第2日目(10/17)。研究発表は以下のとおりである。

  • 紫上の発心と聖女性
    (専修大学大学院 ・ 高野 菊代)
  • 「きりぎりす」と「ひぐらし」 ――『源氏物語』における引歌の一様相 ――
    (九州大学 ・ 波多野 真理子)
  • 『源氏物語』桐壺巻の「命長さのいとつらう思ひたまへ知らるるに」の背景
    ――『白氏文集』巻六十九「感旧」詩との検討 ――

    (大手前女子大学 ・ 丹羽 博之)
  • 明石姫君誕生祝賀歌の背景 ―― 古今「さざれ石」歌の解釈に関連して ――
    (甲南大学 ・ 新間 一美)
  • 『河海抄』の「毛詩」
    (東京大学 ・ 吉森 佳奈子)
  • 『源氏目案』『源氏引歌』の成立について ――版本「絵入源氏物語」別巻の性格 ――
    (帝塚山短期大学 ・ 清水 婦久子)
  • 紫野の斎院をめぐって
    ((財)古代学協会 古代学研究所 ・ 角田 文衛)

研究発表はたいへん充実しており、2日間で13の発表が行われていた。日程のこともあって第2日にしか参加できなかったが、第1日の大東文化大学大学院・宮崎 公光衣氏の発表

「桜」の意義 ――『成尋阿闍梨母集』における「桜」の介在をめぐって ――

もなかなかおもしろそうで拝聴したかった。

第2日でもっともまとまり、理路整然とした発表であったのは、大手前女子大学の丹羽 博之氏の発表ではなかろうか。その要旨を学会による研究発表要旨から引用する。

命婦が桐壺更衣の母を弔問した時、母は「命長さのいとつらう思ひたまへ知らるるに」とわが身を嘆く。この表現について『河海抄』『荘子』(外篇・天地)の「寿長則辱多」を挙げる。爾来、現在に至るまで多くの注釈書が『荘子』を挙げる。しかし『荘子』の寓話中での「辱多」と桐壺更衣の母の人生経験に基づいた嘆きの「いとつらう思ひたまへ知らるるに」にはへだたりも感じられる。 ところが、「命長さのいとつらう」とよく似た表現が紫式部も愛読した『白氏文集』に見える。「感旧 旧に感ず」(69-3545・会昌2[842]年・71歳・洛陽での作)という詩で、その終わりを

  人生莫羨苦長命 人生羨むこと莫かれ 苦(はなは)だ長命なるを
 命長感旧多悲辛 命長ければ旧を感じて 悲辛多し

と結ぶ。この詩序には、20年の間に4人の親しい友人が亡くなった後、思いもよらず我一人生きながらえての悲懐を詠じたと記されている。此の詩の心情の方が夫や娘に先立たれた桐壺更衣の母の心情に近く、両者の状況も似通う。『源氏物語』における『荘子』『白氏文集』の受容の度合から考えても白詩の影響を先ず考えるべきであろう。本発表では白楽天の詩の内容や詠まれた状況と桐壺の巻の表現との関係を中心に考察したい。

『荘子』の「多辱」と、桐壺巻の「つらう」とは、ニュアンスが異なる。内容面から考えると『白氏文集』の「人生莫羨苦長命 命長感旧多悲辛」のほうが妥当ではないかということである。

『白氏文集』と桐壺巻の表現との比較を氏はレジュメにおいて次ように記している。

  1. 次々と親しい人を亡くした実感を素直に述べる   
  2. 桐壺巻に色濃く窺われる「長恨歌」『白氏文集』   
  3. 「寿長辱多」は『源氏物語』以前の作品に未見   
  4. 白氏文集の亡き友を傷む詩は『和漢朗詠集』に採録

氏の発表は、紫式部の各中国古典の受容の程度はさまざまであるので、その典拠として何を挙げるかの問題である。質疑応答時に、白楽天には『荘子』の影響が見られており、荘子→白楽天→源氏物語、というルートが考えられるという意見があった。すると、『河海抄』等の注釈書に『荘子』が典拠として挙げられているのは、ルートの源を示しているのであろう。しかし、氏は、元典拠を挙げてよしとするのではなく、なにに、どれだけ影響を受けているかを考えていかなければならないと、今後の研究方法の可能性を提示したのである。


他に興味深かったのは、(財)古代学協会 古代学研究所・角田 文衛氏の「紫野の斎院をめぐって」である。

人類学的に、といったほうがいいかどうか迷うところだが、これまでに読んだ本の中に、斎院とは神に近づく(奉仕する)際に心身を清める「忌みごもり」の場である、という説明があった。斎院とは、日常の空間ではなかったということを意味しているのである。

しかし、氏の発表では、紫野の斎院に居住空間があったことを示している。すなわち「忌みごもり」の場とは言い切れなくなったわけだ。


充実した研究発表であった。




源氏物語

げんじものがたり。
平安中期の物語。54巻。作者は紫式部。
一般に三部構成と見る。第1部は、1・桐壺(きりつぼ)から33・藤裏葉(ふじのうらば)。第2部は、34・若菜上から(番外)雲隠(くもがくれ)。第3部は、42・匂宮(におうみや)から54・夢浮橋(ゆめのうきはし)である。橋姫以下10巻を一般に〈宇治十帖〉と呼ぶ。

物語は、桐壺帝最愛の第2皇子は生母が帝の寵愛を受けるところからはじまる。美貌のゆえに「光源氏(ひかるげんじ)」と呼ばれる皇子は、幼くして母を亡くし帝の元で養育され、亡き母に似た父帝の中宮藤壺(ふじつぼ)に恋をする。だが、それは禁じられた恋であった。生母・桐壺更衣の身分が低いため臣籍に下された光源氏は、藤壺の面影を求めてさまざまの女性と恋の遍歴を重ねるが、結局、藤壺との間に罪の子・冷泉帝が生まれる。父帝の死と共に源氏は逆境に陥り、須磨、明石にさすらうが2年後に許されて帰京する。以後は幼帝の後見として勢威が備わり、六条院の大邸宅を築いて、最愛の紫上(むらさきのうえ)のほか関係のあった女性たちを集めて住まわせる。源氏の地位は太政大臣から準太政天皇に達した(以上第1部)。初老の源氏は兄朱雀院に頼まれてその皇女女三宮(おんなさんのみや)と結婚する。未熟な宮はやがて青年柏木と密通し、薫(かおる)を生む。夫の裏切りに傷ついた紫上も傷心の末病死する。悔恨と追憶の1年を経た歳暮に、源氏は出家の用意を整える(以上第2部。なお雲隠巻は名のみで内容はない。後人の注記が巻名に誤られたらしい)。薫は聖僧のような源氏の異母弟の八宮を仏道の師として宇治へ通ううちに、その娘の大君に心を寄せる。大君は薫を受け入れず、妹の中君(なかのきみ)をと望む。窮した薫は友人の匂宮を中君に手引きするが、大君は心痛、病死する。薫はやがて大君に似た異腹の妹浮舟を宇治に隠して通いはじめる。この事をかぎつけた好色の匂宮は、さっそく出かけて浮舟をわが物とする。板挟みとなった浮舟は投身をはかるが、救われて、小野の僧庵に入って尼姿となり、やがてその生存を知った薫の迎えにも応じようとはしなかった(以上第3部)。

書名は、古くは『源氏の物語』が普通だったらしく、鎌倉時代には『光源氏物語』と呼ぶことが多い。ほかに『紫の物語』の称もあり、略して『源氏』『源語』ともいう。

日立デジタル平凡社 LAN世界大百科事典より引用・要約


河海抄

かかいしょう。
南北朝時代の『源氏物語』注釈。20巻。著者は四嶋(よつつじ)(源)善成。将軍足利義椿(よしあきら)の命により、貞治年間(1362‐68)に成る。平安末期以来の『源氏物語』研究の成果を集成し、著者の見解をも加味して一書となしたもの。以後の『源氏物語』研究に大きな影響を及ぼした。本居宣長も源氏物語注釈書中の第一に挙げている。

日立デジタル平凡社 LAN世界大百科事典より引用・要約


白氏文集

はくしもんじゅう。
中国、中唐の文学者白居易の詩文集。前集50巻、後集25巻、すべて75巻から成る。ただし現存の集は4巻を欠き、71巻。前集は『白氏長慶集』、後集がすなわち『白氏文集』で、両者を『白氏文集』と総称する。前集は824年(長慶4)に親友の元嬢(げんしん)が編纂したもので、詩を諷諭、閑適、感傷、律詩の順序に分類配列して、そのあとに賦と散文を収める。著名な「新楽府(しんがふ)」は諷諭に、『長恨歌』『琵琶行』は感傷に属する。後集は『長慶集』以後の作品を白居易みずから数度にわたって編集して、845年(会昌5)74歳のときに完成したもの。詩は格詩、律詩、雑体、歌行に分類し、散文も含まれる。

日立デジタル平凡社 LAN世界大百科事典より引用・要約


白楽天

白居易(はくきょい)772‐846
中国、唐の代表的文学者。香山居士と号した。太原(山西省)の人。字により、白楽天とよばれることが多い。家は貧しかったが勉学にはげみ、科挙及第ののち803年(貞元19)に任官した。806年(元和1)駿薗(ちゆうちつ)県(陝西省)の尉となり、このとき『長恨歌』を作って詩人としての名声を得た。次いで中央政府入りして川林学士となり、左拾遺に昇進し、当時の天子憲宗に気に入られ、しばしば意見書を呈上、さらに昇進を重ねて太子左賛善大夫に至ったが、815年(元和10)の上奏文が原因で江州(江西省)の司馬に左遷された。この失意のうちで作られたのが『琵琶行』である。その後、忠州(四川省)の刺史を経て中央に復帰し、821年(長慶1)には中書舎人となった。翌年杭州(浙江省)の刺史に転出すると、西湖に堤防を築いて灌漑事業を興した(白堤という)。ほどなく中央へもどり、刑部侍郎に至り、829年(太和3)病気を理由にいったん辞職し、次いで太子賓客として洛陽の勤務となった。842年(会昌2)刑部尚書(法務大臣に当たる)で退官し、846年75歳で卒した。唐代の著名な文人のなかでは、官僚として最も高い地位に達した人物といえる。
白居易は生前から社会の上層下層を問わず多数の読者をもった詩人で、彼の名声は朝鮮、さらに日本にまで伝えられた。作品集を『白氏文集』というが、『枕草子』に「文は文集、文選、はかせの申文(もうしぶみ)」とあるように、単に「文集」といえば『白氏文集』を指すほど、平安朝の人々に愛読された。

日立デジタル平凡社 LAN世界大百科事典より引用・要約


荘子

そうじ。
中国、戦国時代の思想家、荘子(そうし)の思想をあらわしたもの。荘子は生没年不明。姓は荘、名は周、字は子休といい、宋の蒙(河南省商邱県)の人。荘周とも称される。その伝記には不明な部分が多いが、『史記』本伝や『荀子』など先秦諸子の書の記事および『荘子』外・雑篇に散見される荘周説話などによれば、およそ前370‐前300年ごろの人で、故郷の蒙で漆園の管理に携わる小役人を務めるかたわら、名家の巨匠恵施と親しく交わった知識該博な学者であり、楚王から宰相に迎えられたのも辞退して、おおむね清貧の中で自適の生涯を送ったようである。
 一般に老子の思想をうけて道家思想を大成した人物とされ、「老荘」と並称されるが、両者の思想にはかなりの差異が認められる。その著作としては、『漢書』芸文志は『荘子』52篇を著録し、『史記』本伝はその著10余万言と伝えるが、現行本は西晋の郭象が52篇本の雑駁な部分を削って33篇(内篇7、外篇15、雑篇11)に整理したものである。現行本33篇のうちでは内篇7篇が最も古く、とくに「逍遥遊篇」「斉物論篇」の2篇は荘周本人の思想の精髄を伝えるものである。他の33篇はおおむね上記2篇の思想をさまざまな角度から敷衍展開したもので、戦国末から漢初にかけての荘周後学の手になるものである。荘子の思想の根幹をなすのは、老子同様、一切万物を生成消滅させながらそれ自身は生滅を超えた超感覚的実在、現実世界の一切の対立差別の諸相を包み込んでおのずからなる秩序を成り立たせている絶対的一者としての「道(どう)」の概念であり、また、この「道」のあり方を体得実践することによって真の人間性を回復し、十全の人生を送ることにある。
「斉物論篇」は、この「道」の絶対性のもとでは、現実世界における大小、長短、是非、善悪、生死、貴賤といったあらゆる対立差別の諸相が止揚されて、個が個としての本来的価値を回復し、何ものにもとらわれない絶対自由の境地に至りうるという観念論哲学を展開している。「逍遥遊篇」は、この「道」を体得した超越者である「至人」の境地を雄大なイマージュと美しい文体を駆使して描き出し、世俗の名利にとらわれ現実の桎梏(しつこく)に呻吟(しんぎん)する俗人の愚かさを至高の境地から哄笑する。そして、この「至人」の境地に到達するための方途として、人間的作為を捨てて天地自然の理にあるがままに「因(よ)り循(したが)う」ことを説く。このように、荘子の思想の中核をなすのは万物斉同の斉物論哲学と因循生義の処世とであり、それによって人間存在に必然的に付随する苦悩からの個人的解脱を目ざすものである。
この荘子の思想は、魏・晋玄学の中でとりわけ重視され、「竹林の七賢」(七賢人)の思想的よりどころを提供するとともに、仏教思想と結合して「荘釈の学」を生み、さらに中国禅思想の形成にも多大な影響を与えた。また、その自由奔放な思想の表現伝達を支える独特の比喩と寓話に富む『荘子』の文体は、先秦諸子の中では出色の名文として文学的価値も高い。

日立デジタル平凡社 LAN世界大百科事典より引用・要約


斎院

さいいん。
賀茂神社に奉仕する未婚の皇女もしくは王女。斎王(さいおう/いつきのみこ)、賀茂斎院ともいう。伊勢神宮の斎宮にならって設置された。平安時代の嵯峨天皇皇女、有智子(うちこ)内親王に始まり、鎌倉初期の後鳥羽天皇皇女の礼子内親王に至り、その後は廃絶した。卜定によって斎院となった女性は宮城内に設けられた初斎院での3年間の潔斎を経て斎院(場所としての)に移る。その場所は一条大路の北方、紫野に所在したため紫野斎院とか略して紫野院と呼ばれ、単に野宮(ののみや)とも称した。今日の京都市上京区の七野(ななの)神社がその跡という。斎院には斎院司という役所があり、長官以下の官人や多くの女官たちが働いていた。年中行事である賀茂祭(葵祭)には斎院御禊、祭りの当日の渡御、翌日の還立(かえりだち)(祭りのかえさ)といったぐあいに重要任務を帯びた。歴代の斎院の中でも村上天皇皇女の選子内親王は、円融から後一条天皇までの5代、50余年間にわたって在職し、もって大斎院と称された。さらに選子に仕えた女房たちの中には優れた歌人が輩出し、一つの文芸サロンを形成した。

日立デジタル平凡社 LAN世界大百科事典より引用・要約

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