比較文学する研究会
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Last Updated 2002/1/1

学会リポート010

民間信仰共同研究会


日  時 ■ 2001年12月4日(火)18:30〜

会  場 ■ 西宮神社会館

特派員 ■ 毛利美穂(「比較文学する研究会」管理人)


2001年12月4日(火)民間信仰共同研究会(於西宮神社会館)が開催された。「えびす信仰研究会」がその研究対象を民間信仰へと拡大させた研究会である。名称からいえば「えびす信仰」から「民間信仰」へと移行し、「えびす信仰」からは一線退いた感もあろうが、「民間信仰」という大きな視点からいまだ全貌が明らかにされていない「えびす信仰」を見つめなおす良い機会ではないだろうか。今回の米山俊直氏(大手前大学学長)の報告を聞くと、そのことを痛感させられる。

今回の報告は、氏のいくつかの論をまとめた上で新たな展望を提示するといったものだ。「えびす信仰」の3源泉として、(1)海の神、(2)市の神、(3)福の神が挙げられる。

(1)海の神については、有名であろう。もちろん、柳田国男が「百姓えびす」について言及しているように、えびす神は海だけでなく山においても祭られているが、『生駒の神々』によると、奈良県の生駒にはえびす神が登場しないのである。つまり神の住み分けがなされていて、えびす神は基本的に海の神だということがいえる。さて、天照大神を最高神に戴く日本において海の神はどのようなランク付けになっているのだろうか。明治時代に定められた神社のランク付、つまり官幣神社のうち自然神でランクが上なのは、海は住吉大社(大阪府)、山は大神神社(奈良県)である。しかしいわゆる官幣神社の中にはえびすは登場しない。松前健氏は『日本の神々』において日本の神はローカル性があり、それが神話に取り入れられたのではとの見解を示していることからも推察するように、海の神というのは、元々はローカルな神であったのではなかろうか。今やホピュラーな神の最たるものであるえびす神も、元はと言えばローカルな神なのである。えびす信仰の総本山である兵庫県の西宮神社が、摂社であったのが民衆によって盛り立てられたものであることを考えると容易に想像がつくであろう。

そのローカルなえびす神が、(2)市の神の性格を持つのは当然のことであった。豊漁があると、人は集まる。人が集まると賑わいを加えるために傀儡子や人形芝居など神に奉納する類の芸能が発展する。西宮神社周辺も傀儡子の発祥地として知られている。この芸能や商売の発展によって人の交流も盛んになる。すなわち、人があちこちら散らばることによって、信仰が広まっていくのである。えびす信仰が広まっていったのは、このように「市の神」としての性質を持ってからと考えられよう。島根県の美保神社では、元々は天神を待っていたのだが、1813(文化10)年にえびす神になぞらえられる事代主神が登場する。事代主が一般的になるのはこの頃ではなかろうか。また、この頃にえびす信仰が広まっていったのがわかるのでないだろうか。

えびす神が信仰の対象となる。つまり、信仰コミュニティーが成立した後に、それぞれが豊かさを象徴する芸能が行われ、(3)福の神の性格を有するのである。七福神の大黒天と結びついたのも、このころである。

以上、えびす信仰の成立要素を検討していくことにより、どのように現在のえびす信仰が成り立っていったのかを明らかにすることはできるのではなかろうか。民間信仰という大きな視野から見つめなおすことの有効性を実感することができた。


充実した報告であった。


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