質疑応答020
古代日本における巫女の髪:
天武紀十三年閏四月の詔を中心に
毛利美穂に対する質疑応答
■ 質問
匿名希望:今回はご論は、毛利さんの巫女そして神事に対する認識が窺えるものではないでしょうか。そこで、毛利さんが以前、衣服の色について考えられていたことを思い出したのですが、衣服に関してはどのようにお考えですか?
- 発表者:衣服についても同様のことを考えております。私はとりわけ「白」に注目しているのですが、天平勝宝4年(752)4月の東大寺盧舎那仏開眼法要の際に孝謙天皇と聖武太上天皇・光明皇太后がそろって白い絹の衣服を着用していたことは米田雄介氏などの研究によって明らかにされていること、そして、平安時代になって天皇の衣装が中国風のものにあらたに規定された時に、白い練絹でできた衣が天皇の「大小神事及び季冬奉幣諸陵」の時に限定して着用する衣服になったことなど、その他の事例を考えた場合、神事に旧来の習慣・習俗が残されていると感じるようになりました。その一端が、今回取り上げた巫女の髪にも見られるのではないかと思っています。なお、衣服については、いずれまとめるつもりですので、しばらくお待ちください。
匿名希望:いつも興味深くご論を拝見しております。今回、毛利さんは「神事に関与するものを例外と規定することによって、その保存が行われたのであろう」と推察されていますが、なぜその必要があったのでしょうか。
- 発表者:書紀が編まれた時代は、外国文化(大陸および半島の文化)がいやおうなく押し寄せている時期でもあります。政治的にもそれを利用することが必要とされていましたし、外国文化の浸透を防ぐことは毛頭なかったでしょう。しかし、その時代になぜ書紀は編まれたのでしょうか。それは、「日本にもこういう文化があったのだ」「こういう素晴らしい文化があったのだ」ということを内外にしらしめるためではなかったでしょうか。そのためにも、独自の文化を絶やすことはできなかったと思います。(もちろん、絶やすことは不可能だったと思いますし、それは再三の結髪令が如実に物語っています)その意識が、「保存」という形をとったと私は考えています。
hina:イラストがないせいか、「垂髪」がいまいちよくわかりませんでした。
- 発表者:ありがとうございます。これについては、今後なんらかの形で明確にできればと考えています。
■ 感想等
hina:今回は巫女の髪についてのご発表でしたが、以前も巫女のことを発表されていて、それと関連されていておもしろかったです。でも、結髪令のところがいまいち説得力がなかったように思えます。どういう髪型なのか、いまいちわかりにくいところもあったので、イラストなどを載せた方がよかったのではないでしょうか?
- 発表者:ありがとうございます。以前にまとめた時は巫女の埴輪や高松塚古墳の壁画など、さまざまな写真やイラストを載せていたのですが、それをどのように載せようかと悩んだ結果、載せない方が無難だと思い、今回の発表になりました。
匿名希望:今回のご論は、2つに分けられると思います。日本書紀における髪型と、結髪令について。そのほうがまとまりが出てよかったのではないでしょうか。
- 発表者:ありがとうございます。
■ 発表者から一言
貴重なご意見ご感想、ありがとうございました。今回は特に髪型について視覚的に説明できるものを省いたことによってご迷惑をおかけしました。これから補いつつ、完成させていきたいと思います。
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