日本紀竟宴和歌にみる日本書紀のイメージ:
「聖」の表記からみる天皇像
毛利美穂に対する質疑応答
■ 質問
まさ:今回の発表から日本書紀における「聖」の表記と、竟宴和歌における「聖」の捉え方が一致しているのを確認できますが、その他の表記(例えば「おわりに」に挙げられている遷都の記事など)は和歌でどのように詠まれているのでしょうか?
- 発表者:天智天皇でいうと、延喜6年には、「ささなみの寄する海辺にみや始め代々に絶えぬか君が御後は」とあり、天慶6年には、「皇の近江宮に造り置きしときのまにまに御代も絶えせず」とあります。
両者とも、大意は、今はなき近江の都は天智天皇の時に置かれたのだ、となり、遷都の記事をそのまま書いているのですが、柿本人麿の歌といい、近江の都に対するこの表現は、もう少し考えていけばおもしろいのではないかと思います。
まさ:仮に日本書紀の表記と重なる部分が多いのだとすれば、日本書紀編者の意図したイメージがその後平安時代に入っても受け継がれている事の証明となるのではないでしょうか。
- 発表者:そのようになります。今後は重ならない部分についても考えていきたいと思います。
まさ:「聖」の概念には論語的思想(儒教的思想と置き換えてもいいと思いますが…)が導入されているということですが、これは日本書紀が編纂された8世紀の風潮を色濃く反映しているのではないでしょうか? 例えば聖武天皇の治世を見てみると、天皇の徳と災異との関係を非常に意識していたように見えますが、この時期の「聖」などについての意識が日本書紀の「聖」に強く影響しているのではないでしょうか。以前理想の天皇の一人として仁徳という存在があったのではというお話をしたことがあったかと思いますが、「聖」についても理想的な「聖」のあり方として仁徳をイメージしたのではないでしょうか。
- 発表者:それはあると思います。
発表以降、論語の「聖」と書紀の「聖」について若干検討していったのですが、その概念が一致する部分とそうでない部分がやはりあります。書紀では必ずしも「聖」の表記=天皇の徳、とはなっていません。ところが、仁徳だけを切りとって考えると、だいたい一致するのです。そこに、仁徳に対する特別の思い入れ、すなわち中国的な「理想的な天皇像」のイメージが窺えるのではないでしょうか。
まさ:今回の発表からは少し離れますが、天皇の漢風諡号についてはいかがお考えですか? 漢風諡号は日本書紀編纂後に付けられたものですから、当然日本書紀における天皇のイメージに合致する諡号が贈られたのだと思いますが、その中で「聖帝」として意識されている仁徳に「聖」の付く諡号ではなく「仁徳」と贈られたりしていることは、当時の「聖」に対するイメージを反映しているものと思うのですが。
- 発表者:漢風諡号に、天皇のイメージが反映されているのは確かだと思います。書紀では漢風諡号に「聖」の付く天皇は出てきません。特徴的です。その後、聖武天皇とか出てきますし、この辺りに「聖」に対するイメージの変遷が見られるのかもしれません。今後、検討していきたいと思います。
ちなみに、論語では、「聖」よりも「仁」「徳」が重視されていると思われます。
匿名希望:今回のご論では「論語」との関係を指摘されていますが、『日本書紀』に「論語」の影響がみられることはご存知ですか?
- 発表者:はい。知っています。今回は、「聖」の表記にその影響が見られることを考察していきました。
匿名希望:「日本紀竟宴和歌」における『日本書紀』理解というご論でしたが、その影響関係、享受のありかたについてもう少し詳しくされた方が、毛利さんの主張が生きてきたのではないでしょうか?
- 発表者:ありがとうございます。枚数の関係上、あまり詳しくできなかったのですが、検証がまだしっかりできていないことは感じています。次回はその辺りを補いつつ書いてみたいと思います。
まさ:「聖」という字が付く人物で他に想起されるのは「聖徳太子」ではないかと思います。
- 発表者:そうです。聖徳太子については、やはり毎回ひっかかるところです。聖徳太子の記事が示す「聖」と、仁徳の記事が示す「聖」とでは、微妙に異なっています。仁徳において、完全に中国的聖帝像として描かれていないのと同様に、聖徳太子にも、そのような点があるのは、また面白いですね。
■ 感想等
まさ:今回の発表は、和歌における「聖」の表記からこれまでの発表における「聖」のイメージが日本書紀講書においても受け継がれていった様子を明らかにされた点で意義深いものであると思います。
- 発表者:ありがとうございます。「聖」については現在も格闘中ですが、和歌における「聖」のイメージをもう少し検討していきたいと思います。
まさ:大山誠一氏によると、「聖徳太子」は元正朝に創造された人物であり、天皇制の中に中国的聖天子像を取り入れるためだったとされています(『〈聖徳太子〉の誕生』吉川弘文館・歴史文化ライブラリー、1999年)。
毛利さんの指摘されるように漢風諡号に「聖」の付く天皇が出てこない一方で、「聖徳太子」のような存在もあることに何か意味があるのかもしれません。
大山氏は「聖徳太子」が皇太子とされていたことについて、皇太子首皇子の存在に注目されていますが、この首皇子こそ後の聖武天皇であり、「聖徳太子」同様、「聖」の字を付されていることは注目すべき事かもしれません。
- 発表者:面白い見解ですね。一度、目を通してみます。ありがとうございました。
■ 発表者から一言
貴重なご意見ご感想、ありがとうございました。今回は枚数の制限もあり、しっかりとした論証ができていないところがありましたが、これから補いつつ、完成させていきたいと思います。
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