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Last Updated 2000/9/25

質疑応答012

神性・神秘性からみる巫女の変遷

毛利美穂に対する質疑応答


→NO.012「神性・神秘性からみる巫女の変遷」


■ 質問

匿名希望:巫女性を天皇家が独占していく過程を言及されていますが、日本の女帝についてどのようにお考えですか。

発表者:上田正昭氏の論に借りると、巫女王の段階・巫女王から女帝の段階・女帝の段階があると考えられます。私は皇極(斉明)天皇までを巫女王から女帝の時代に位置づけ、巫女王時代の女性がもっていた圧倒的神性を身に負っているのが皇極(斉明)天皇と考えており(この時にはすでに神性は失われて神秘性を残すのみとなっているはずであるが)そして、持統天皇以降は、巫女性は他の者に与え、それを掌握する現実的執政者としての姿を見出していたのです。しかし、孝謙天皇の即位が、皇極天皇即位と似ていることを感じ、そこに疑問を持つようになりました。それらをまとめて、いずれこの場で発表できればと考えていますので、お待ち下さい。

匿名希望:巫女のイメージが広すぎて、定義付けをさぜるえなかったことはわかりますが、逆に能力のある巫女という曖昧な定義付けをしたことによって、論が発展しにくかったのではないでしょうか。もっと、全体を見渡せることができればよかったと思います。

発表者:確かに「能力のある巫女」という定義も曖昧ではありました。巫女について論を進めようと考えたとき、そのイメージの広さに驚き、なにも手につかなかったことを記憶しています。そこで定義付けをしたのですが、もっと多角的に巫女を見ていけば、また違った面が見えてくるのではないかと考えています。ご指摘、ありがとうごさいました。

まさ:『日本書紀』を考える上では、書紀編者の意識を考えることが重要なのではないかと思いますが、女性、特に天皇のきさき達が発揮する神秘的な能力について書紀編者がどのように意識していたとお考えですか?

発表者:天皇と神を媒介する存在として意識していると思います。女帝の場合など若干の例外はありますが、いずれも天皇の補佐役として登場しているところを見ると、天皇と神を結び付ける存在なのではないでしょうか。

まさ:祭祀が形式化していくというのは見て取れましたが、その中で天皇・皇后・女帝はどのような役割を果たすようになったのでしょうか? 祭祀を能動的に動かす存在から形式に従って祭祀に参加する存在へと変化していくに伴い、祭祀の中で果たす役割に変化はあったのでしょうか?

発表者:神事を取り仕切り直接神と交通する存在から、実際の神事は他者に任せ、ただそれを掌握する(神事の執行人を任命する等)存在へと変化していったと思います。中古以降については事例を検討していないので推測の域を越えませんが、だいたいこのように考えられるのではないでしょうか。
ただ、女帝の存在はとてもひっかかります。というのも、孝謙天皇が即位する際に瑞祥が出て、即位の正当性をアピールしています。また、称徳(孝謙)天皇の時代には、仏舎利など、明らかに従来の事例には見られないものも瑞祥と定めている場合があり、皇極天皇に見られるような女帝の正当性をアピールする事例から考えると、古来の巫女性をここで再現していると考えられるからです。

まさ:毛利様の以前の発表を読んでいるときにも思ったんですが、『日本書紀』に載っている記述から変化・変遷を読み解こうという姿勢が強く出ているように感じます。『日本書紀』の記述がうそだとまでは言いませんが、書紀編者がなぜその物語を挿入したのかなど、編者の姿勢や『日本書紀』編纂時期からの分析もあればよいのではと思いました。この点についてはどのようにお考えでしょうか?

発表者:以前は書紀を中心に、というより書紀から変遷を見ていく方法をとっていましたが、他の視点から見ることによって新たな発見があるのではないかと考えるようになりました。現在、挑戦中ですが、いずれこの場で発表できればと考えています。ありがとうございました。

■ 感想等

hina:これまで磐姫皇后といえば嫉妬深い女性のイメージが強かったのですが、今回のご論を背面して、別の一面が見えました。

発表者:ありがとうございます。テキストによってイハノヒメ皇后の描かれ方は違います。それぞれのテキストによる性格付けの比較も楽しいのではと感じています。

まさ:平安初期の皇后は仏事、特に寺の建立に力を注いでいるケースが数多く見え、それが皇后に期待された役割の一つではないか、また奈良朝の光明皇后の施薬院・悲田院の設置や仏教への協力などを見ると、「しりへの政」と呼ばれた天皇との協力統治の役割の中にこのような仏教政策・民衆政策が含まれているのではないかと考えたことがあります。今回の発表を読ませていただいて、形式化・形骸化していたにせよ、祭祀を行う者としての皇后の役割が小さくなく、それが残されていったものが奈良朝以降の皇后の祭祀における役割だったのではないかと思いました。ただ書紀段階では天皇の権威付けに一本化されていた祭祀の役割が、平安以降氏神などの自分の血縁に関わるところに向かっているところに特徴があるのではと感じました。

発表者:そうですね。上代から中古への過程をそこに垣間見ることができて、たいへん参考になりました。ありがとうございます。

■ 発表者から一言

貴重なご意見ご感想、ありがとうございました。巫女については依然から興味のある分野で、今回の質疑応答をもとに、さらに論を深めていきたいと思います。

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