比較文学する研究会
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Last Updated 2001/3/5

発表017

「幻影の盾」に見える影響

毛利 美穂


はじめに

 『漱石とアーサー王傳説』で江藤淳氏は、漱石の、明治39年(1906)5月29日付内田貢(魯庵)宛の書簡、同年6月6日付鈴木三重吉宛の書簡、同年6月19日付鈴木三重吉宛の葉書を引用し、『漾虚集』は訂正3版が正確に作者の意向を反映しているものとして、この訂正3版を底本に採用している。『漾虚集』の初版は明治39年5月18日。刊行当時きわめて不完全なものであり、同年5月22日の再版も初版の誤字誤植は訂正されず、これに不満をもっていた漱石が自ら筆をとって校正・改訂にあたったのが、翌明治40年(1907)3月10日に刊行された訂正3版というのが理由である。したがって、『幻影の盾』を理解するにあたり『漾虚集』訂正3版を積極的に扱わなければならないわけだが、ここでは便宜上、新潮社の夏目漱石『倫敦塔・幻影の盾』を使うことにする。

 次のように論を進めていく。

  1. 諸資料から見る影響
  2. 影響の具体的な考察


1.諸資料から見る影響

 まず「幻影の盾」に見える影響について、どのようなものがあるかを先人の論より見ていこう。

A.『比較文学研究夏目漱石』
『漾虚集』の背景 ―漱石と『神曲』のふれあいを中心に―

 石井和夫氏は、まず「明治三十七、八年頃のメモ『十二』に、『漾虚集』の各短編に用いられた素材が見られ、『幻影の盾』のためのメモは、結末のヰリアムとクララの出会いの場面、巨人にまつわる盾の由来に関するものや「Virigin Maryノ夢」など五項目がまとめて記されている」とプロットについて触れた後、「このヰリアムとクラヽの出会いの発想について、夙に『サンドラ・ベロニー』や『エイルヰン』の投影が指摘されているが、ここでは、ダンテの『神曲』、煉獄篇の反映もあるのではないか」(下線・引用者)と述べている。

B.『漱石とアーサー王傳説』

 また、江藤氏は、漱石が『薤露行』においてアーサー王伝説の枠組を用いていることに対して、『幻影の盾』でも彼は時代を「アーサー王の御代」に設定し、「所謂『愛の庁』の憲法」によって規定された宮廷風恋愛を描こうとしているが、その典拠はかならずしもアーサー王伝説のみには限定しがたく、『オシアン』や『ニーベルンゲンの歌』が断片的に投影している(これについては注に板垣直子『漱石文學の背景』(鱒書房、1956、pp.73-81.)、また小宮豊隆「『短篇小説集』解説─『漱石全集』第2巻(岩波書店、1966所収、pp.843-849.))とある。そして、ブレイク『諾威の王 グイン』も加えて、これらが後の漱石作品「趣味の遺伝」『草枕』に影響を与えたと言及している。

C.『講座夏目漱石第五巻〈漱石の知的空間〉』

 『講座夏目漱石』ではさらに詳しく「ウォッツ=ダントンの『エイルウィン』第三章第四節のスノードン山中におけるウィニフレッドの歌声、およびメレディスの『サンドラ・ベローニ』第二章における月下のサンドラの歌声などのこだまが聞かれる」とある。

D.『明治文学とヴィクトリア時代』
『幻影の盾』における英文学的諸要素

 松村昌家氏もABCと同様、「幻影の盾」の騎士の習慣などはトマス・マロリー『アーサー王の死』の全篇を満たしている武者修業のあり方に因んでいるとし、『エイルウィン』の影響部分も詳細に述べている。他と異なった点では、アンドレ・ル・シャプラン『恋愛術』、ウォルター・スコット『マーミオン』『ラマムアの花嫁』そしてワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を挙げている。

 ここまで、ざっと数えただけで11もの作品が「幻影の盾」に影響を与えたことになる。「幻影の盾」が短編であること、そして影響部分に複数の作品が重複していることを考慮すれば、漱石はこれらの作品から積極的にではなくあくまでも消極的に影響を受けたと考えた方が妥当である。これについては『講座夏目漱石』においても「これらは部分的類縁性で、材源と『草枕』との間に作品全体としての緊密な結びつきがあるわけではなく、漱石が影響関係を断っているわけでもない。ただ、材源にみられる現実と非現実の交錯するロマンティックな幻想性が漱石の想像力に働きかけ、類似した情景の創造を促したのが実状であろう」とある。

E.「幻影の盾」の背景 ――比較文学的考察――

 塚本利明氏も「「幻影の盾」は非常な苦心の下にさまざまな英文学的要素を巧妙に利用することによって構成された作品」と同様のことを述べている。また、塚本氏は論文中に、影響部分についての先人の論をまとめているので引用しておく。

(1)岩上に現れる紅衣の女のイメージについて   
W=ダントン『エィルウイン』【注01】、メレディス『サンドラ・ベロニ』、ローレライ伝説との関係【注02】
(2)敵同士の家に属する宿命的恋愛のテーマについて   
オシアン「セルマの歌」、『ロミオとジュリエット』との関係【注02】
(3)時代的背景について   
マロリー『アーサー王の死』、テニスン『国王牧歌』との関係【注02】
(4)盾について   
ホーソン『ワンダ・ブック』、オシアン『カリックスウラの詩』、スコット『アイヴァンホー』との関係【注02】
(5)宝物に「呪い」の憑く思想について   
『ニーベルンゲンの歌』、『国王牧歌』、『アーサー王の死』、メディア伝説との関係【注02】
(6)小舟の機能について   
『国王牧歌』、『アーサー王の死』との関係【注02】
(7)「赤い帆」を掲げた舟のイメージについて   
トリスタン伝説、特にM・アーノルドの「トリストラムとイスールト」との関係【注03】
(8)「作品のプロット」について   
スコットの『ラマムアの花嫁』との関係【注04】
(9)「赤い帆」を掲げた舟のイメージについて   
トリスタン伝説、特にスウィンバーンの「トリストラム・オヴ・ライオネス」との関係【注04】

 漱石の想像力に働きかけたのはなにも文学だけではない。

F.『決定版夏目漱石』
漱石とラファエル前派

 江藤氏は「薤露行」や「幻影の盾」の、半ば擬古的な文体で織られたイメージの世界は、ほとんど正確にロセッティやバーン=ジョーンズの水彩画の世界に照応していると、視覚的影響についても言及している。さらに「これが単なる模倣でもエクゾティシズムでもないのは、漱石自身がラファエル前派に共通した一種病的な想像力を共有しているからである。血の紅やローブの藍、それに独特な悲哀と苦悩をたたえた人物たちの表情――それはきわめて精神的であるためにしばしばひどくエロティックに見える――は、そのまま漱石の存在感の暗い淵から浮かび出た心象だといってもよい。それは「漾虚集」を彩り、そしておそらく「草枕」や「虞美人草」にまで投影している。「紫の女」藤尾は、ロセッティの「プロセルピーヌ」の反映でないとはいえないからである。松村氏も同様のことを『明治文学とヴィクトリア時代』「『倫敦塔』とドラロシュの歴史画」で述べている。

 以上のことから、「幻影の盾」に見える影響は広範囲に及ぶが、ここでは文学にのみ限らせてもらう。


2.影響の具体的な考察

 先に、漱石は消極的に影響を受けたと述べた。たとえ消極的であれ、ここで本文に該当する影響部分の具体的な考察を試みるのは無駄ではあるまい。「幻影の盾」を理解するためには、作品の深みをより味わうことも必要であり、さらには作者漱石の理解にもつながるからである。

 では、本文の流れに従って、影響したであろう部分を取り上げ論を進めていこう。ただし影響したものすべてを語るとなると枚数もかさむので、ここでは次の6項目について述べていきたい。

  1. バーガンデの私生子
  2. 盾の模様
  3. 盾の由来
  4. 騎士の恋の四期
  5. シワルド
  6. 黒眼黒髪の赤衣の女

 他の影響部分については、最後に参考資料を載せておく。

A.バーガンデの私生子

 「千四百四十九年にバーガンデの私生子と称する豪のものがラ・ベル・ジャルダンと云える路を首尾よく三十日間守り終せたるは今に人の口碑に存する逸話である」

 私が見た限り、この文に関しては誰も言及していない。ただ、漱石全集の注解に説明があるので引用しておく。

ラ・ベル・ジャルダン これをそのまま表記すれば la belle jardin だが、jardin は男性名詞だからこのような名称はあり得ない。la belle Garde(立派な守りを意味する峠の名)の誤記であろう。あるいは、la belle gardienne(美しい守り姫)の地名化とも考えられる。「私生子」は、孤児アリクサンドル(Alixandre l'Orphelin)のことか。渡辺一夫によれば、アリクサンドルはラ・ベル・ガルド峠に住み、これを通ろうとする多くの武士と戦って勝つ。アイリー(Aylies)という名の「美しき巡礼の女」(la belle pelerine)がアリクサンドルの名声にひかれ、ラ・ベル・ガルドに来り住み、結婚する。しかし漱石の用いた典拠が不明であり、混同もあるようで、なお不明の点が残る(『漱石文学全集』第2巻注解、1970)。

 以上のように、この逸話が虚構か否かという問題は不明であるが、しかし、少なくとも「私生児」という文字に関しては、中世ドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』前編(相良守峯訳)の第14歌章に見られるので、記しておく。

「私たちは私生児を長く養っておくべきでしょうか、」
ハゲネが言い返した、「それは立派な武士の名誉ではありません。
お妃様の一件を自慢話にしたとあっては、
あの人の命をもらうか、さもなくば自分で死んでしまいます。」(下線・引用者)

 注に、「私生児とは、親のわからぬ子の意味に解して古い北欧神話におけるジーフリトの素姓には適用されるが、この叙事詩だけで見れば、単なる蔑称として解すべきであろう」とある。

B.盾の模様

 盾の中央には「ゴーゴン・メジューサに似た夜叉」の顔が鋳出されている。しかも、「天地人を呪うべき夜叉の姿も、彼が眼には画ける天女の微かに笑みを帯べるが如く思わるる。時にはわが思う人の肖像ではなきかと疑う折さえある」というのだから、ウィリアムにとってこの恐ろしい盾の模様も、ある時にはクララに見え、ある時にはメモ『十二』に「Virigin Maryノ夢」とあるように天女=マリアに見えるのである。このことについては、清水あや訳の頭韻詩『アーサーの死』の一節が思い出される。

われらが大苦難の折、われらは聖母マリアを念じる、
それはわれらの主君が信頼の旗印である。(下線・引用者)

 「旗印」の注には「アーサー王はプリドウェンと名づける盾に聖母像を描いていたと述べる物語があるが、この詩では始めての言及」とあり、アーサー王との関連が窺われる。

 塚本氏は、漱石訳『オシアン』「カリツクスウラの詩」の「取り出でよなが父の盾、リンワ゛ルのかたみの盾、鋲打ちし真金の盾。黒ずみて大空渡る真丸の月の盾」という一節から、「盾」の基本的イメージはこの「カリツクスウラの詩」から示唆を得たとしている。

 また、竹盛天雄氏は「『吾輩は猫である』と『漾虚集』──『幻影の盾』の位置──」で、

筋を追うまえに興味をひくのは、「盾」の異様な意匠とその叙述である。「盾の形」は「望の夜の月」のように「丸い」。周りに「五分」間隔で銀色の「鋲」をうちつけてあるが、全体は「鏡の如く輝やいて面にあたるものは必ず写」しだされる。ここに「盾」であって「鏡」としての機能が明らかになっており、そのモチーフの働きがしかけられていることはいうまでもない。

と述べている。その「鏡」としての機能については、本間久雄氏が「テニソン」で言及している。これは「薤露行」中の短編「鏡」においての記述であるが、その「鏡」の使い方および効果は「幻影の盾」にも共通するところがあるので引用しておく。

『鏡』の劇的構成の特色は、次の二つの点において、いちじるしく、そして見事に現われている。一つは、この女主人公の心理解剖<>である。例えば Tennyson の原作では、女主人公が鏡のの中にうつる影の世界に、ようやく不満足を覚えて、ついに“I am half sick of shades”と叫ぶところなども、その叫びの原因となるべきかずかずの事件を、ただ逐条列記するだけで、それらの事件とその叫びとの間の必然的関係には、何の触れるところもないのである。『鏡』はこの点に、はっきりと触れている。というのは、『鏡』においては、事件の描写よりも、むしろ事件によって醸し出される女主人公の心の悩みが、描写の中心となっているからである。(以下略)(下線・引用者)

 女主人公をウィリアムに置き換えて考えると理解しやすい。「幻影の盾」におけるウィリアムも、「白城の城主狼のルーファス」の騎士としての立場と、ルーファスと相対する「夜鴉城」の姫クララへの愛情とのジレンマに陥るのである。そのウィリアムの悩みを、「盾」の「鏡」としての機能が果たしているのである。

『鏡』では、女が鏡の中に Lancelot の姿を見るやいなや、思わず梭を投げて、鏡に向って、「声高くランスロットと叫ぶ」。同時に、「爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭どき眼とが鏡の裡にて」はたと出会う。間髪を入れず、女は再び「サー・ランスロット」と叫んだまま、鏡の前を去って窓際に駆けよるのである。女と Lancelot とが以前、どういう関係にあったかは、知る由がないとしても、Lancelot が、女の上に課せられた呪いそのものとは、切っても切れぬ深い因縁のものであることが想像される。(以下略)(下線・引用者)

 ウィリアムの「盾」は「願うて聴かれざるなし只その身を亡ぼす事あり」という代物であり、しかも「盾を執って戦いに臨めば四囲の鬼人汝を呪うことあり。呪われて後蓋天蓋地の大歓喜に逢うべし」という威力を持つ。死は再生に、呪は恩寵に、マイナスはプラスにという変換をしかけるのが「盾」の威力であると竹盛氏も述べている。ウィリアムは、盾によってその身に呪いを受け、それと同時にクララと盾の中で出会うという運命も巨人の予言によって決定されているのである。また、トリストラム伝説との関係を再考している塚本氏は、死にいたる愛、あるいは死によってしか達成することができない宿命的なトリストラムの愛をウィリアムの愛に重ね、その、呪いと歓喜、あるいは死と愛の完成との一体化という「盾」の作用の二面性から、達成の絶対条件となっている「死」が「盾」の呪いとは無関係ではないとしている。

さらにまた、この女の「末期の呪い」が、鏡面に現れるかずかずの不気味な前兆によって予示されるということにしたのも Tennyson 原作には全くなかったところである。日夜、鏡に向って幾年月、その前兆について無関心に過ぎた彼女に、ある日、突如として前兆が現われる。はっと驚いて「凶事か」と叫ぶ。ほとんど同時に、彼女は鏡の中に Lancelot を見るのである。こういう「前兆観」は、『まぼろしの盾』にも、またおなじ頃の漱石の作品『趣味の伝説』にも窺われる。

 以上のことから、「鏡」の機能および「呪い」の効果について「幻影の盾」にも同様のことがいえるのがわかった。さらに、「「盾」のまんなかに「五寸許りの円」が浮きあがっていて、一杯に「怖ろしき夜叉の顔」が鋳だされている点である。「盾」に「呪ひ」の威力がそなわっているのは、実はこの異物のせいに他ならない」という竹盛氏の見解、すなわち盾の中央にある夜叉の面が重要であることは、そのまま、聖母の肖像を盾の中央にいただく頭韻詩『アーサーの死』にもいえるのである。

C.盾の由来

 メモ『十二』に、巨人にまつわる盾の由来に関するものについての記述があるように、漱石全集の注解には、「明治三十七、八年頃の「断片」に「〇先祖が北ノ国ノ巨人ト戦ツテ楯ヲ得ル、巨人楯ヲ与フルトキ楯の功ヲ説ク」とある。では、漱石はいったい、どの作品の影響を受けて盾の由来を作り上げたのだろうか。

 塚本氏は、「ワルハラ」「オジン」という語から、北欧神話の雷神ソーの武器と巨人の「拳の如き瘤のつきたる鉄棒」との関連を挙げ、盾の「由来」に色濃く投影されているのは北欧神話のイメージであり、漱石はこれを主としてM・アーノルドの物語詩 balder Dead(1835)から得たと述べている。しかし、松村氏が

『アーサーの死』の世界にはそれにまつわる冒険譚は、第九巻に出てくるラ・コート・マル・ターユ(La Cote Male Taile)と黒い盾の物語を始めとして、決して少なくない。

と、語っているように、盾の由来についてはほとんどマロリーの『アーサーの死』が影響していると考えて差し支えはないだろう。江藤氏も、漱石所蔵のマクミラン版2巻本の『アーサーの死』のうち、書入れと傍線が存在するのは第2巻の186頁以降、つまりキャクストン版の第11巻第6章以降であり、この個所以降4ヶ所に、和紙の細片がはさんである部分があると述べ、さらに、この「明治大學分校」と記された紙片のはさんである個所は、キャクストン版の第13巻第10章と第11章のあいだ、つまり「ギャラハッドが楯を得て出発すること、およびイーヴレイク王がかつてアリマテアのヨセフより受けしこの楯の由来のこと」(“How Galahad departed with the shiled,and how King Evelake had received the shield of Joseph of Aramathie”)と「ヨセフその血をもって白き楯に十字架を描きしこと、およびギャラハッド修道僧によって墓に導かれること」(“How Joseph made a cross on the white shield with his blood,and how Galahad was by a monk brought to a tomb”)のあいだとある。だが、この大きな紙片が聖杯伝説の章のあいだにはさんであることになんらかの意味があるかどうかはわからないとし、細片をはさんだ頁には明らかに意味があるが、大きな紙片は偶然そこにはさまれたという公算が大きいからであるとの見解を述べている。

D.騎士の恋の四期

 第1を躊躇の時期といい、第2を祈念の時期、第3を応諾の時期、そして第4の時期を Druerie という。この4期は『アーサーの死』以外に『ニーベルンゲンの歌』にも見えるので、試みに当てはめてみよう。

 第1の時期については、ブルゴントの姫クリエムヒルトはニーデルランドの王子であり英雄ジーフリトに一目惚れしたのだから、躊躇というほどではない。この時期は「女の方でこの恋を斥けようか、受けようかと思い煩う間の名」であり、「この時期の間には男の方では一言も恋をほのめかすことを許されぬ。只眼にあまる情けと、息に漏るる歎きとにより、昼は女の傍えを、夜は女の住居の辺りを去らぬ誠によりて、我意中を悟れかしと物言わぬうちに示す」のである。第1の時期に該当する時期が、第3歌章に見える。

彼の方でも幾たびか考えた。
「自分が久しいあいだ心から慕っているかの気高い姫を、
この眼で見るためにはどうしたらよいであろう。
自分にとって姫がまだ赤の他人にすぎないとは、悲しいことだ。」
貴い王たちが領地を見回るときには
常に武士たちも扈従せねばならなかったが、ジーフリトも
これに同行せねばならぬことは、姫にとって悲しいことであった。
彼としても姫への愛のためにあまたの苦しい目にあったのである。
かくして彼はグンテルの国ら、王たちとともに実際まる一年を過ごしたが、
そのあいだかの愛らしい乙女と会う機会は一度としてなかった。
彼女のためにその後彼は幾多の幸福と、
また苦難をも味わわなければならなかった。

 そしてジーフリトはクリエムヒルトのために、ブルゴントに攻め入るザクセン人との戦いにおいて功績をあげるのである。そして第5歌章では、

彼女の限りない美しさこそ、彼をこの地に引き留めたのだ。
人々はいろいろな娯楽によって時をすごしていたが、
彼の知る唯一の悩みは恋の悩みであった。
後に勇士はこの恋ゆえに、いたましい最期をば遂げるのである。

 女、つまりクリエムヒルトへの愛のために、傍を離れることを断念したのである。

 第2の時期は、「男、女の前に伏して懇ろに我が恋叶えたまえと願う」時期であり、ジーフリトがブルゴントの王グンテルのイースラントのプリュンヒルトへの求婚に際して、それに協力し、また成功させる代償としてクリエムヒルトとの結婚を申し出るということが該当する。この頃には、二人はお互いに想いをかけあっていることを意識しているが、求婚はしていない。つまり、この騎士の恋の四期を実行しているのものと思われる。

 第3の時期には、女は「男に草々の課役をかける」つまり男の誠意を確かめる時期である。クリエムヒルトは、兄のグンテルの身の安全をジーフリトに頼み、彼は求婚に際してのプリュンヒルトとグンテル(実はジーフリト)の力競べに助力して、クリエムヒルトの「課役」を立派に果たすのである。

 そして Druerie の第4の時期では、ジーフリトとの約束を果たすため、グンテルはクリエムヒルトにジーフリトとの結婚を伝え、クリエムヒルトは承諾するのである。

 漱石が『ニーベルンゲンの歌』の存在を知っていたのは確かである。後で詳しく述べるが、シワルドの名について漱石全集の注解に、

デンマークの中世バラッドにうたわれた Sivard(デンマークの王子)を、このように読んだのであろう。漱石が一九〇〇年十一月七日から約二ヶ月間ロンドン大学のユニヴァーシティ・カレッジで講義を受けたW・P・ケア(1855-1923)の名著『叙事詩とロマンス――中世文学論集』(1897)に、このバラッドの詳しい紹介がある。「シーヴァル」はドイツの叙事詩『ニーベルンゲン』に出てくるジーグフリートの原型。

とあり、たとえ、漱石が『ニーベルンゲン』の原本を読んでいなくても、ケアの著書を読めば内容等が詳しく載っているので把握はできているはずである。漱石はこのように中世文学に触れることによって騎士の恋の4期を完成させたのである。

E.シワルド

 「D」で記したように、シワルドの名は「シーヴァル」のことで『ニーベルンゲン』に出てくるジーグフリートの原型とある。『ニーベルンゲン』は、18世紀中葉にスイスの啓蒙主義者ボードマー(Johann Jacob bodmer)が『ニベルンゲンの禍い』という叙事詩の写本を世に紹介して以来、一般的に知られるようになった。クリストフ・ハインリヒ・ミュラー(Christoph Heinrich Muller)が版を出したことから始まり、次第に世に受け入れられて、ド・ラ・モット・フケー(Friedrich de la Motte Fouque)の『北方の英雄』(Der Held des Nordens)3部作、そして日本人にとってもっともなじみの深いワーグナーの『ニーベルンゲンの指輪』(Der Ring des Nibelungen)4部作などが誕生した。ジーグフリート(Siegfried)は、シグルト(Sigurd)ともいい、漱石全集の注解によればシーヴァル(Sivard)ともいう。ケアの『叙事詩とロマンス――中世文学論集』(Epic and Romance:Essays on Medieval literature)では Sigfed の名前も出てくる。ケアについては、江藤氏の注に「W.P.ケアは、のちにオックスフォード大学詩学教授になった中世文学の権威で、当時はロンドン大学の Quain professor of English Literature として、ユニヴァーシティ・カレッジに講座を持っていた。漱石は、約二ヶ月間(夏目漱石『書簡集・一』――『漱石全集』第27巻、狩野、大塚、菅、山川宛書簡参照)、このケア教授の講義を聴講したのである」とある。また、

漱石にとって、中世とは、おそらく知的興味の対象という以上に、より根源的な遡行の欲求の対象であった。ユニヴァーシティ・カレッジで、W・P・ケアの講義を聴いたことが、彼の中世文学に対する眼を開いたことはたしかであるが、だからといって彼は単なる知的な欲求を満足させるためにアーサー王伝説に没入して行ったのではない。もし彼が、知的関心を追うことに意味を見出していたのであれば、漱石は引きつづきケア教授の講義に連り、中世学者となる道を進んでいたにちがいない。しかし、彼は中世学者にはならずに、『薤露行』を書いた。それは、とりもなおさず中世が、なかんずくアーサー王伝説が、漱石の全人的に追い求めていたなにものかの表徴であったことを暗示しているのである。

と、アーサー王伝説と漱石の関係について述べており、同時にこれは漱石にとっての中世の重要さを物語っている。従って、少なくとも『ニーベルンゲン』に関しても軽視すべきではないと思われる。ケアの著書には、Sivard について、chapterU THE TEUTONIC EPIC の sect.V EPIC AND BALLAD POETRY に紹介が載っているので、引用する。

 It happens fortunately that one of the Danish ballads,Sivard og brynild,which tells of the death of Sigurd(Danmarks Gamle Folkeviser,No.3),is one of the best of the ballads,in all the virtues of that style,so that a comparison with the Lay of brynhild,one of the best poems of the old collection,is not unfair to either of them.
 The ballad of Sivard,like the Lay of brynhild,includes much more than an episode;it is a complete tragic poem,indicating all the chief points of the story.The tragic idea is different from that of any of the other versions of the Volsung story,but quite as distinct and strong as any.

 さらに、Sivard の物語の内容等の詳細な紹介については次の SIVARD(O the King's Sons of Denmark!)に記されており、原作を読まなくても内容把握は可能である。

 シワルドに関しても、見たところ誰も言及しておらず、ただ漱石全集の注解に『ニーベルンゲン』との関係を窺わせているだけである。私が「幻影の盾」を読み進めるうちに感じたのは、ウィリアムの恋に協力的なシワルドは『アーサーの死』におけるマーリンと同じ役割を果たしているのではないかということである。

F.黒眼黒髪の赤衣の女

 この女は「その岩の上に一人の女が、眩ゆしと見ゆるまで紅なる衣を着て、知らぬ世の楽器を弾くともなしに弾いて」登場する。盾の由来に、「南方に赤衣の美人あるべし」と予言がなされている。これは、竹盛氏も記しているように、冒頭のあった「ブレトンの一士人」が「仙姫の援を得て」目的を果たすという「仙姫」の役割にあたるものと考えられる。つまり、ウィリアムは「赤衣の美人」の「援を得て」クララとの恋を成就させるのである。『神曲』煉獄篇の反映を試みる石井氏は、この女の登場をマテルダ夫人の登場に重ねあわせている。

ダンテが踏み入る地上楽園の森は、澄みきった清らかな流れのある「the ancient wood」である。一方、ヰリアムの歩む林の中には、「太古の昔」の「太古の水」を「湛へる」「太古の池」があり、それは「寒気がする程青い」。『神曲』の地上楽園を、小鳥の声を聞きながら歩くダンテの前に、マテルダ夫人があらわれる。彼女は流れを挟む向かう岸の花咲き乱れる小径に、歌いながら花を摘みつつ姿をあらわすことになっている。『幻影の盾』のヰリアムは弓の楽器を弾きながら歌う女に出会う。その女の歌にしたがって盾の中にやがて開けてくる「南の国」には、「深緑の葉」「裏には百千鳥をかくす。庭には黄な花、赤い花、紫の花、紅の花、――凡ての花が」咲いている情景が描き出されている。そして、先の場面でマテルダ夫人がダンテに語る、「Here the root of man's race was innocent;here spring is everlasting」は、『幻影の盾』のヰリアムが盾と同化してはじめて、「純一無雑の清浄界」が実現し、やがて、「此国の春は長へぞ」というクラヽの言葉を聞く場面を髣髴させる。

 マテルダ夫人だけでなく、石井氏はベアトリーチェが赤衣を身につけて華やかに登場することを、「百年の後南方に赤衣の美人あるべし」という巨人の予言そのままに、弓の楽器を弾く女が、「眩ゆしと見ゆるまで紅なる衣を着て」いることと結び付けている。

  一方、漱石全集の注解には、

シオドア・ウォッツ=ダントンの『エイルウィン』(一八九八)で、ジプシー女シンファイがクルス(crwth)という楽器を弾いて尋ねる人の生霊を現すのと同じ趣向(第三章の四、五、第四章の一を参照)。漱石は明治三十二年八月号の『ホトトギス』に、「小説『エイルヰン』の批評」を載せてこの場面に注意を向け、全体としてこの小説を高く評価している。

とあり、『エイルウィン』との関係を指摘し、松村氏も「赤衣の美人」はシンファイの変形に他ならないと述べている。その前に松村氏は、

漱石は『文学論』において超自然的現象によって文学的効果を高めている一例として、『ラマムアの花嫁』第二十二章に描かれているアリスの幻をあげているのである。アリスの幻とは、実はすでに死んでいたアリスという名の老婆が、ルーシーの姿をかりて道を行くエドガーの目の前に出現するという奇異な出来事をさす。

と記している。これを読んだとき、私の中で、アリスの役割と「赤衣の美人」との役割は異なるが、アリスの、エドガーと会わなければならないという一念、そしてエドガーとの出会いが、女とウィリアムの出会うべくして出会ったという必然性を彷彿とさせたのである。さらに、女の存在は「碧り積む水が肌に沁む寒き色の中に、この女の影を倒しまに浸す」と「水」の文字が見えることなどから、アーサー王伝説に登場する湖の貴女を思い出させるのである。

 江藤氏は『倫敦塔』『カーライル博物館』『幻影の盾』、および『薤露行』を挙げ、前二者は作者の日常的経験を手がかりに構成されてより現実的であり、後の2編は文学的・審美的経験から発想され、より幻想的であると述べている。さらに、幻想を展開することによってもっとも内奥に秘められた経験を語ることもできるとしている。宿命的な愛、恋愛の神秘性、そしてその至上性――この「幻影の盾」の甘美でロマンティックに世界は、まさに、イギリス留学体験および英文学者としての豊富な知識を根底とした漱石自身を描き出しているのである。


【注01】岩波版『漱石全集』2巻、小宮豊隆による解説。なおW=ダントンとの関係は、他に多くの論者が言及している。

【注02】板垣直子『漱石文学の背景』(1956、pp.73−81.)。矢本貞幹『夏目漱石』(昭和46)もこれらのうち多くのものについて論じている。

【注03】塚本利明「漱石の『幻影の盾』とアーノルドの“Tristram and Iseult”」(『日本比較文学会会報』81、1975.4)。

【注04】松村昌家「漱石『幻影の盾』と英文学」(『神戸女学院大学論集』22-1、1975.9)

参考資料

  • W.p.Ker『Epic and Romance:Essays on Medieval literature』(Macmillan、1897)
  • 夏目漱石『倫敦塔・幻影の盾』(新潮社、1952)
  • 山川丙三郎訳『神曲(上中下)』(岩波書店、1953)
  • 本間久雄「テニソン」(『英語青年』、雄松堂出版、1966.7)
  • 江藤淳『決定版 夏目漱石』(新潮社、1974)
  • 相良守峯訳『ニーベルンゲンの歌 (前後)』(岩波書店、1975)
  • 塚本利明「「幻影の盾」の背景 ――比較文学的考察――」(『専修人文論集18』、1976.12)
  • 石井和夫「『漾虚集』の背景 ――漱石と『神曲』のふれあいを中心に――」(『比較文学研究 夏目漱石』、朝日出版社、1978)
  • 吉田精一・福田陸太郎監修『比較文学研究 夏目漱石』(朝日出版社、1978)
  • 塚本利明「「幻影の盾」の背景(二)――主としてテニスンとの関係をめぐって――」(『専修人文論集22』、1979.1)
  • 松村昌家『明治文学とヴィクトリア時代』(山口書店、1981)
  • 浜崎長寿他編『ニーベルンゲンの歌』(大学書林、1981)
  • 三好行雄他編『講座夏目漱石 第5巻〈漱石の知的空間〉』(有斐閣、1982)
  • 竹盛天雄「『吾輩は猫である』と『漾虚集』―─『幻影の盾』の位置―─」(『国文学 解釈と教材の研究』31-1、学燈社、1986.1)
  • 竹盛天雄「『吾輩は猫である』と『漾虚集』―─『幻影の盾』の「呪ひ」―─」(『国文学 解釈と教材の研究』31-2、学燈社、1986.2)
  • 「漱石研究文献目録」(『国文学 解釈と教材の研究』31-3、学燈社、1986.3)
  • 平岡敏夫編「漱石語彙辞典」(『国文学 解釈と教材の研究』31-3、学燈社、1986.3)
  • 清水あや訳『頭韻詩 アーサーの死』(明倫出版、1986)
  • 江藤淳『漱石とアーサー王傳説』(講談社、1991)

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